2006年03月30日

「賢治の学校」

この間から朝晩チビチビと読んでいる本。図書館で、「宇宙のこころを感じて生きる」という副題に惹かれて借りた「賢治の学校」(鳥山敏子著)
宮沢賢治の教え子たちの回想と賢治の詩を素材に、彼の教育者としての姿を
浮き彫りにしていく。

「感じる通路の開いたからだ」をもった賢治。「すべてのものはつながっている」と感じる賢治。
・・・・水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ…(「種山と種山が原」パート3)自然に同化し自然になってみる

生徒とつながっていた賢治。
だれがだれより偉いかを比べる馬鹿らしさ。生徒に「天の才」を発揮させる。そして教師として真剣に生徒と向き合うほど、農学校の生徒に百姓仕事の尊さを説くほど、自分が教師であることの矛盾に悩み、ついに教職を辞し
農民救済の道へと入っていく。

いま,なぜ「賢治の学校か」?
教育者宮沢賢治を鑑としたとき、今の「時代の窮屈さが見えてくる」「追い詰められる子どもたち」の姿が見えてくる。
そして著者は「新しい時代をつくる最後のチャンス」だと訴え、教職にあるみずから教室で「賢治の学校」を実践し、退職後は全国各地を飛び回り「賢治の学校を世界中に、星の数ほど誕生させようと思う。」と志す。
いまもその活動は営々と各地で続けられている。

この時代に宮沢賢治が生きていたら、どうしただろう?自分も賢治にはとうていなれないにしても、小さな賢治の一人にはなりたいな、とか夢想するこの頃です。
posted by 新八 at 05:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

総会準備、着々

 総会の準備は着々と進んでいます。正会員、賛助会員のみなさんに案内を出しましたし、議案書や資料もそれぞれ分担分ができあがって我が家に持ち込まれています(私の分はまだ手つかずですが、近日中に仕上げます)。

 一年前の今頃、ふきのとうを立ち上げるために話し合いをしていた頃を思い出します。NPOの意味すら分からず、名前も浮かばず、でもやりたいことだけは描けていました。これからどうなるのか不安だったけれど楽しかったような気がします。
 今、「思えば叶う」「やればできる」的な自信と満足感があります。何をしたかと問われても、さしたる実績はありませんが、山を一歩筒登っているような感触があります。

 色んな個性が集まり一つ方向へ向かう「ふきのとう」は、まさしく「蕗の薹」です。小さな花の集合体である蕗の薹は、子孫繁栄という生物本来の最高目的に向かって突き進んでいます。私たちも蕗の薹のごとく、本来の目的、本質、真理に向かって進んでいきましょう。
posted by 直球 at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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